メンバーの活躍

8月14日(日)、岩手県の大槌町の「復興盆踊り」にL茅島が参加しました。
ライオンネットを通じて、日本全国から有志が集まり、提灯もやぐらも流されて無くなった大槌町に、
手作りの行燈を使った舞台を届けました。

 

 

 

 

 

以下ライオンネットの日記「大槌町の八幡さん、本当にありがとう」より

昨日は、「大槌町のお母さん」こと八幡幸子さんが「元気けっつぁ!」と企画した復興盆踊りの初日でした。

お母さんがやるなら「よっしゃー!」ということで、ライオンネットの大隊長、テキ屋の橋本隊長が参戦することは知っておりました。
しかし、15日16日で女房と息子と3人で栃木に旅行に行く予定だった私は、参加はあきらめておりました。
ところが直前になって、息子の予定がダメになり旅行がキャンセルとなりました。

すぐに池田さんに電話。「行けるかも・・・」
池田さんは、「ちょっと待って!」
というわけで、マニラから帰国中の佐藤知穂さんと3人で、0泊3日の酒なし弾丸ツアーの決行となりました。
(厳密には到着時の寝付けよう缶ビール1本と、お昼に根本さん差し入れの地ビール1本を飲んでますが・・・)


夜の8時に私の住む江戸川まで地下鉄で来ていただいた池田さんと合流。すぐに牛乳1000本と、大量の枝豆とジャガイモを積み込むために、
世界の昌男さんのところに行きました。


昌男さんは「高橋昌男で〜す」と家の外まで迎えに来ていただきました。
「行きたかったな〜」と私たちに大量の飲み物まで提供してくれました。

そして、実家つくば市に帰省していた知穂さんをピックアップして、いざ大槌へ。

私は長距離の運転には自信がありませんでしたが、5月に日帰りで行っていることと、運転の交代要員が二人もいるので、元気にかっ飛んで行きました。
13日だというのに、全く帰省ラッシュの渋滞にも合わなかった私たちは、予定を大幅に上回り、4時半に現地に到着しました。
さすがに早すぎるので、車の中で仮眠をとることにしました。

ウトウトとしていると6時に電話が鳴りました。
「今どの辺?」隊長でした。「今起きたけど、飲み過ぎで酔っぱらっとる」ということで、先に昌男さんの荷物を下ろすことにしました。

荷物を下ろした私たちは、「中で休んで」という八幡の女将幸子さんのお言葉に甘えて、ファミリーショップ八幡のおいしいおいしい総菜の数々に与ることになりました。
昨日はお煮しめに、イカのワタ炒め。ごっついうまい!ビールが飲みたい。

その後、根本さん、大隊長ひきいる明石魚住ライオンズクラブ軍団と合流した私たちは、大勢の方々が亡くなった大槌の港に、花を持ってお祈りに行きました。

丘の上から見たときには「5月に来た時よりも随分片付いたな」と思っていましたが、港の光景はとてもそんなものではなく、まさに地獄でした。とても「片付いた」なんて言えない、そんな瓦礫の向こうに「ひょっこりひょうたん島」が浮かんでいるのが印象的でした。

私たちは海に向かってお祈りを捧げ、八幡に戻りました。

そこには井出さんご夫婦が到着しておりました。

井出さんご夫妻には何度かお会いしたことがありますが、実は橋本隊長も、根本先生もお会いするのは今回が初めて。
テキ屋軍団の明石魚住LCのメンバーの迫力もそうですが、ワンボックスに行燈108基と、テントを4張りを積み込んでたった一人でやってきた根本先生。このテントは寄贈するんだそうです。

軽のワンボックスを寄贈するためにはるばる今治から物資を積み込んできて、帰りは電車で帰るという井出ご夫妻。
そして明石のテキ屋軍団のみなさま。

クラブでのアクティビティとは全く違う、クラブを超えた有志だからできるのかもしれないアクティビティ。
池田さんも佐藤さんも汗だくになって作業していました。(私も・・・)

そして、夜を迎えました。
根本さんの行燈は、とても素晴らしい幻想的なステージを作り上げました。

町会長?さんの挨拶に「3月11日、2時46分のことは今日だけは忘れてみんなで踊りましょう!」の言葉に、「きっとひと時も忘れることのできない重い物を背負っているんだなあ」と改めて知らされた思いでした。

そんなそぶりを見せずに、いつも明るく接してくれる八幡さんが、準備の時に行燈を見て「うれしい」と涙を見せたのは同じ気持ちだったのでしょう。

「どうしてもやりたかった」と強く語るお母さんに、少しでも役に立てたのかなと不安を抱きつつ、会場に人が集まるのを待ちました。

6時からと思っていた私は、人の集まり具合が少し悪いと心配しながら、この日のためのあの「元気けっつぁ!大槌町」の団扇を配っておりました。

私の心配は見事に外れ、7時を過ぎたころにはたくさんの人が集まり盆踊りが始まりました。
8時過ぎ、大槌出身の歌手の歌謡ショーの時には、最高の盛り上がりを見せました。
彼女自身も父親を津波で失い、未だに遺体が出てこないそうですが、「みんなで頑張りましょう」と強く訴えながら、涙ながらに歌っておりました。

ステージ最後には、八幡のお母さんとがっちり抱擁。泣けました。

最後にライオンズクラブを代表して橋本大隊長の挨拶もありました。
やさしいやさしい挨拶でした。
二人だけの時、「茅島君、ありがとう」と握手してくれたのもうれしかった。

撤収作業をしながら、「本当に今日来てよかった」と思いました。
ライオンズクラブとは別の世界がライオンネットにはあります。

少ししか参加できなかったけど打ち上げの時に、「泊ってけ」と何度も涙目で訴える八幡のお母さんの顔をみて、「お母さんが喜んでくれてる」と感じ、うれしくなりました。

私は、「こんな穏やかで平和な町に、なんであんなことが起きるのか」などと思っていましたが、みなさんはそんなことは思っていません。思っていたら前に進まないんです。改めて実感し、またしても「元気けっつぁ」と張り切っていった私が元気をもらってきました。

お母さんが喜んでくれたあの笑顔に立ち会えたこと。

ライオンネットのみなさんと一緒に立ち会えたこと。
町のみなさんと一緒になれたこと。
本当にありがとうございました。感謝!





7月3日から9日まで、シアトルの国際大会に石田会長ご夫妻とL茅島が参加しました。
3日にはシアトルマリナーズ戦を観戦し、5日のインターナショナルパレード、ガバナーを囲む会、
6日の開会式、8日の閉会式と公式行事に参加いたしました。